映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』の感想文
前々から見たくてたまらなかった『ファンタスティック・ビースト』シリーズの最新作が、本日11月23日に公開された。
公開初日の深夜25時頃、相変わらずの喧騒に包まれる新宿歌舞伎町のど真ん中に位置するTOHOの映画館で、早速見てきました。
今回は、いつもと違って映画の感想を書くことにしようと思います。
『ファンタスティック・ビースト』は、世界中で最も有名なファンタジー作品の一つ『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフ的な位置付けの作品だ。
ハリー達が通うホグワーツ魔法学校で使われていた教科書の著者として名前だけが登場していたスキャマンダー氏。
その人物が主役のこの映画は、『ハリー・ポッター』の物語から数十年前が舞台になる。
今回見てきた『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』は、
2016年に公開された『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』に続くシリーズの第二作。
前作では、主人公のニュート・スキャマンダーが魔法生物に纏わるアクシデントを解決し、クライマックスで強大な闇の魔法使い・グリンデルバルトを捕まえるところで物語が終わる。
そして今作では、その捕まえたはずのグリンデンバルトに冒頭でいきなり逃げられてしまう。
前々から思っていたが、この作品の世界における司法関係は少々無能すぎやしないだろうかとツッコミをいれたくなる。
一方、主人公のニュートはダンブルドアに、グリンデンバルトと戦ってくれと言われる。
ダンブルドア本人は誰よりも強い魔法使いのはずなのに、何故かラスボス・グリンデンバルトとは戦ってくれない。
『ハリー・ポッター』シリーズには、魔法界の過去として、ダンブルドアがグリンデンバルトを倒したというエピソードが語られていたはずなので、ここで見ている人は疑問を抱くだろう。
本作では、
- グリンデンバルトの邪悪な企みが徐々に明らかになったり
- ダンブルドアが戦わない(戦えない)理由が説明されたり
- 主人公ニュートとその仲間たちとの関係性が変化したり
と『ファンタスティック・ビースト』シリーズにおいて、ある種説明回のような役割をもった作品という印象を受けた。
そのため、色々と複雑な人間関係を説明がなされるなど見ているこちらは物語についていくのも一苦労。
正直な感想としては、この映画一作だけを見て十分に楽しめるというタイプの作品ではないと感じた。
ただ、逆に、『ハリー・ポッター』シリーズのファンにとって、そして前作『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』を見た人にとっては最高の映画だと思う。
では、シリーズのファンの一人である僕がこの映画を楽しんだ3つのポイントを紹介したい。
①魔法生物の活躍
『ハリー・ポッター』世界の大切な住人は魔法使いだけではない。
原作でも、ドラゴンやケンタウロス、バジリスクなど様々な不思議な魔法生物が活躍したが、
この『ファンタスティック・ビースト』では、さらに彼らが物語で重要な役割を果たす。
お宝を集める二フラー(モグラっぽい見た目)や、ニュートのポケットが定位置のボウトラックル、中国生まれのズーウーなどが主人公の助けになります。
さらには、河童が登場し、ニュートが「Japanese water ○○」と言うシーンもあり、日本人の僕たちはちょっとうれしくなったり。
ちなみに、○○のところ、僕のリスニング能力が壊滅的で聞き取れませんでした。
意味的には、Japanese water spirit/monsterとかだろうか。
年々リスニング能力が低下して、映画の音声も追いきれなくなってきました…。
②シリーズ特有の世界観
『ハリー・ポッター』 シリーズは何といっても作品全体の世界観が魅力的だ。
ハリーやニュートたちが使う魔法の呪文や色んなアイテム。
そしてホグワーツという魔法使いの学校。
そして様々な登場人物。
原作では偉大な老魔法使いとしてハリー達を教え導くダンブルドアの若い頃の姿が見れたり、賢者の石を作ったことで有名な?ニコラス・フラメルが活躍したりするのは見ていて興奮する。
そして何より、魔法が散りばめられたロケーションも素晴らしい。
僕は、『ハリー・ポッター』の魔法省という役所の風景が凄く好き。
電話ボックスから地下に運ばれ、不思議な装置があちこちにある薄暗い魔法使いのための役所。
本作では、イギリス、アメリカ、フランスという3つの国の役所が出てくる。
どの国の役所も、魔法に満ちていて(自動で動く掃除ロボ?や棚とか…警備の魔法生物とか…)、一方で何となくお国柄みたいなものが感じられたりもする。
これから見るよという方は、魔法省の様子にも注目していただきたい。
③エンディング
物語本編が終わると流れるスタッフロールが凄く気に入った。
なんでそんな細かいところを挙げるのと思われるかもしれないが、気に入ってしまったものは仕方ない。
特に良いのが、ダンブルドアとグリンデンバルトの文字がと共に彼らの顔が浮き出てくるところ。
この二人の偉大で強大な魔法使いが暗示されているような絵面は最高だし、ジュード・ロウとジョニー・デップがカッコイイ。
余談だけど、映画を見た後で映画館の売店でこの本を衝動買いしてしまいました。
『ファンタジー映画大解剖』めちゃくちゃ面白そうじゃないですか??
映画の余韻に浸りながら読んでみようと思います。
志賀晃『スマホを落としただけなのに』の感想文
志賀晃『スマホを落としただけなのに』
今日、紹介するのは、『スマホを落としただけなのに』という作品。
現在、北川景子さん主演の映画が公開中で、広告を繰り返し見るうちに気づいたら購入していた。
スマホを落としただけなのに (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
- 作者: 志駕晃
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 文庫
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この作品、まず何よりもタイトルがずるい!!
そして、そのスマホを落とす、というこれまた誰の身にも起こりうる出来事。
物凄く等身大の出来事でありながら、スマホを失くしたら大変なことになると重々認識している現代人にとっては、そのタイトルだけで少しゾッとしてしまう。
一度目にしたら、なかなか忘れられない素晴らしいタイトルだと思う。
まずは本作のあらすじ。
麻美の彼氏の富田がスマホを落としたことが、すべての始まりだった。
麻美を気に入った男は、麻美の人間関係を監視し始める。
セキュリティを丸裸にされた富田のスマホが、身近なSNSを介して麻美を陥れる狂気へと変わっていく。
いっぽう、神奈川の山中では身元不明の女性の死体が次々と発見され……。
「BOOK」データベースより
さて、ここからは僕の感想となっていくのだが…
先に断りを入れておくが、今回は思いっきりネタバレをしてしまう予定でいる。
小説を未読の方や、これから映画を見るつもりだという方は、自己責任で先に進んでいただきたい。
『スマホを落としただけなのに』は三つのパートで構築される。
①スマホを拾った側
拾ったスマホを起点に麻美のプライベートを暴く謎の男。
②スマホを落とした側
麻美の彼氏がスマホを落としたことをきっかけに、窮地に陥れてしまう。
③警察
神奈川県の山奥で身元不明の女性の死体を発見し、捜査を進める警察。
この三者の視点を行き来しながら、物語が進むことで、読者は作品に引き込まれていく。
文庫版の解説では、作家の五十嵐貴久が、
「頁を開く前に、まず時計を確認しておくべきだ。少なくとも数時間、あなたは本書から目が離せなくなる。
ファーストシーンからクライマックス、そして驚愕と感動のラストシーンまで、食事、睡眠はおろか、トイレにさえ行けなくなる」
述べている。
全くその通りで、一度読みだすと止まらない。
黒髪ロングが似合う美人な麻美がどうなってしまうのかと気が気でない。
ハッキングを続ける男は、次に何をしかけるのか。
そして警察は、麻美が殺される前に、犯人にたどり着いてくれるのか。
早く次へと進みたくて、あっという間に読み終わる。
解説は本編が終わってから読む派閥なので、時計の確認は怠ってしまったが、
おそらく一時間半程度が瞬時に過ぎ去っていた。
スマホやSNSといった現代社会特有の装置を思いっきり駆使した本作は、
読者にとって身に迫る恐怖を伴う臨場感を与える傑作だ。
Facebookなどを用いて、麻美の身辺がいとも簡単に暴かれていく様子は読んでいて震える。
もし、自分に悪意が向けられたとしたら、自分も同様の被害に合うのだろう。
ただ、この作品のSNS描写は「大人のSNS社会」という様相が感じられる。
たぶん、今の若い層は『スマホを落としただけなのに』に描かれるのとは違うSNSの使い方をしているし、言葉を選ばずに言うと少し古い印象もある。
もっともこれは作者に責があるというよりは、あまりにも早く移り変わる現代ネット社会の方に原因があり、物語そのものの面白さには影響はない。
この作品では、冒頭から、正体不明の男が色んな存在に成り代わり麻美に魔手を伸ばす。
小説を読みなれた訓練された読者にとっては、
「この物語、これだけで終わりではないな」という考えに行きつくだろう。
そうなると、麻美か彼氏の富田にも描写されてない秘密があるに違いないと考えないだろうか。
少なくとも、僕はそう思った。
メタ的な視点で、小説の仕掛けを先読みしてしまうようなこの習性を恨めしく思うのだが、考えてしまうものは仕方がない。
ここでは、実際に、隠されていた秘密そのものに言及するような野暮なことは避けるが、確かに秘密はあった。
僕は、
作中冒頭で作品全体にとって重要なカギとなる仕組みが提示され、
その仕組みが形を変えて最後にもう一度出現する
タイプの小説を、脳内で勝手に「入れ子式」と分類している。
最近の人気作品、この「入れ子式」のどんでん返し多いような。
僕の勝手な印象だろうか。
そして最後に次の一冊を紹介したい。
皆さんは、貴志祐介の『黒い家』をご存じだろうか。
保険金殺人をテーマに、現在進行形のホラーが読者を引き付けるこの作品もエンタメ性抜群。
『スマホを落としただけなのに』は、この『黒い家』を彷彿させる。
読み手側が、自分自身がその恐怖の当事者になり得るのではないかと不安になるくらいリアルなホラー。
『スマホを落としただけなのに』を楽しんだ人にとって、
是非お勧めしたい次の一冊です。
未読の方は『黒い家』も併せて読んでみてほしい。
- 作者: 貴志祐介
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2012/10/01
- メディア: Kindle版
- 購入: 1人 クリック: 1回
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読まず嫌い?の作家
世界中の本を全て読むなんて不可能なのだから、当然、読んだことのない作品は無数にある。
ただ、読める本には限りがある中で、ジャンルにこだわらずけっこう色んな小説を読むように心がけているにも関わらず、
「え、こんなに人気な作家さんの本を未読だなんて」
と、自分自身で驚くことがある。
別に、特段理由があるわけではないけど、何故か触れたことのない作家さん。
僕にとって、浅田次郎がその一人だった。
あれだけ多作で、人気もあるのに、どうしてこれまで読んだことがないのか本当に不思議だ。
だが、先日、そんな浅田次郎との出会いの機会が不意に訪れた。
本当にたまたまだが、書店で彼の作品を手にした。
そして、早速読んでいる最中だ。
まだまだ物語は序盤だが、既に作品に惹き込まれてしまっている。
今まで読んでこなかった、過去の自分に呆れている。
やはり、食わず嫌いも、読まず嫌いも良くないな。
(読まず「嫌い」だったわけではないけれど笑)
減らない積読
最近、本当に困っていることがあります。
積読が減りません。
いや、むしろ増えるばかり…。
10月16日に、本屋さん巡りが好きで、
暇な時間は書店で時間を潰すというお話をしました。
その書店巡りの時の、本を買う基準がどんどん甘くなっている気がする。
以前なら、家に未読の本もたくさんあるしと我慢していたのに、
「ブログに読書感想文を書くネタにもなる」
の言葉を免罪符にして、購入までのハードルがだだ下がりしてる。
財布の紐が緩みきっている。
一昨日は、立ち寄ったBOOKOFFで小説を中心に7冊買ってしまった。
全部で1000円程なので、これだけ買ってこの値段なんて自分は買い物上手だな!と喜んでいたのだが、
家に帰って冷静になると、まだまだ読んでない本がいっぱいあることを思い出して反省した。
そして、反省したばかりなのに、今日また小説を買ってきてしまった。
上中下の3巻ある大作に、気になっていた冲方丁さんの『十二人の死にたい子どもたち』
本を読む速度より、読みたい本が生まれる速度の方が数段早い。
もうこれはどうしようもない。
ただ、もう少し計画的に買わないと(笑)
感想文のネタになる本は相当数仕入れたので、どんどん更新頑張りたいと思います。
海堂尊『チーム・バチスタの栄光』の感想文
未知の世界というと宇宙だとか、深海だとか、はたまたジャングルの奥地だとか…
そういうものが思い浮かぶ。
でも、僕たちにとっては「病院」というのもそれらに匹敵するくらい未知の世界だ。
風邪をひいたり、ケガをしたり、患者として病院に行くことはあっても、内部のことはとんと検討がつかない。
医者といえば、
- 医学部卒で頭が良い。
- お金持ち。
- 白衣を着ている。
- 大学病院では権力闘争をしている??
- 忙しい。
などなど、勝手なイメージはたくさん思い浮かぶ。
小説とかドラマとかの影響をかなり受けていて、病院や医師の実像とはかけ離れたものかもしれない。
病院は、普段生きている社会の中にありながら、どこか俗世とは違った性質を有している(ような気がする)。
人々は、そんな病院というロケーションが大好きなのだ。
だからこそと言うべきだろうか。
現役の医師が書いた本というのは、それだけで興味が惹かれる。
リアルな医師の様子、診察の雰囲気、外科手術の臨場感といったものは、実際に経験した者にしか書けない部分が多々あるだろう。
中でも、海堂尊の書く病院は面白い。
医療現場で起きる事件を解決するという構図が定番の彼の作品では、多くの場合、架空都市の大学病院が舞台となる。
現役医師が描く、リアルな病院では、リアルな診察や手術が行われ、現実でも起こっている医療問題への言及がなされたりもする。
内部で暮らす医師の視点からの病院はやはりそれっぽい。
『チーム・バチスタの栄光』でも、作中の手術シーンは緊迫感に包まれているし、それ以外でも、手術をモニタリングできる部屋の様子やら、外科医師とか麻酔医とか看護師とかの関係性といった一般人が想像して書く医療ドラマではとうてい記述できなさそうな細部までリアルだ。
もちろん読者は、現実の病院を知らないので、この場合のリアルというのは、あくまでリアルな雰囲気がするという意味だが…。
こうした医療現場の様子が描写されているという点は海堂尊作品のアピールポイントの一つだろう。
だが、同時に、「リアルとは程遠い部分」があるという点こそが最大級の魅力なのだ。
それは、人だ。
『チーム・バチスタの栄光』の登場人物たちは、どう考えても普通の人たちではない。
誰もかれもキャラが立ちすぎているくらいだ。
リアルな舞台設定とはアンバランスなくらい、ファンタジーな登場人物が配置されている。
それこそ、漫画やアニメの登場人物みたいにキャラの特性が誇張されている。
タイトルにもなっている高難易度のバチスタ手術に挑む、「チーム・バチスタ」の面々。
そのバチスタ手術に起きた問題の調査にあたる同病院の田口先生。
血が嫌いで、患者の愚痴をひたすら聞いてあげる通称・愚痴外来が彼の仕事。
閑職を自ら望む昼行灯的な医者で本作の語り部を担う。
そして、田口先生と共に事件解決を目指す厚労省からやってきた白鳥。
「ロジカルモンスター」とか、「火喰い鳥」とか、「ゴキブリ」とか、めちゃくちゃなあだ名をつけまくられる彼は、その名に恥じぬ強烈な人物。
論理的で頭が良いのに、様々な問題を起こし、多くの人に避けられている。
ちなみに医師免許も持っている。
僕が最初に『チーム・バチスタの栄光』を読んだのはもう10年前だろう。
その後もシリーズ化した本作の続編を何冊か読んだとはいえ、それらも読んでからは、けっこうな日が立つ。
それでも作中のキャラクターは未だに覚えている。
それくらい強烈な個性を持った登場人物たちなのだ。
海堂尊は、現役の医師としての経験や知識を活用し、
リアルな病院という舞台を作り上げたのに関わらず、
そこに配置するピースはあえて非リアルな人間を選んだ。
それなのに、医療現場で起きる事件の臨場感は欠片も損ねず、
フィクションとしてのエンタメ性を最大限に高めている。
新しい物語のデザイン「チャットノベル」
チャット小説やチャットノベルという言葉聞いたことありますか??
毎日使うLINEの画面を想像してほしい。
スマホを用いて、チャット形式の画面で物語が進んでいく。
それがチャット小説だ。
タップやスクロールで次々に新しいチャットが表示されて、
友人や恋人とのLINEの会話を見返すように、物語が読める。
普段、書籍の形でしか物語を読まない僕としては、想像もつかない分野なのだが…
どうやら日に日にその勢力を拡大中とのこと。
現に、僕が、今、チャット小説に言及しているのも、
塾講師のアルバイトをしている友人から、
「教え子の高校生にスマホアプリで読めるチャット小説が面白いと勧められた」
というエピソードを聞かされたからだ。
僕も、その友人も、ネット上でそうしたアプリの広告を目にしてことはあるので、チャット小説の存在自体は知っていはいた。
ただ、イメージがピンとこなくて、縁遠いものだと思っていた。
しかし、食わず嫌いは良くない。
せっかくの機会だと思って、チャット小説を読めるアプリを落としてみた。
(けっこう無料で読めるものもある)
実際に読んでみると、確かに読みやすい。
たぶん、少し前までは活字を読むというと、書籍や新聞、雑誌など印刷されて縦書きのものだった。
そして、パソコンや携帯電話が普及すると、Webサイトやメールなどで横書きの文章を目にする機会が増えてきた。
このブログだって同じだ。
1000年以上前から縦書きで書かれてきた日本語が、英語と同様横書きで書かれているが何の違和感もない。
さらにここ数年、スマホでのチャットアプリの使用率が相当高くなった。
おじいちゃんおばあちゃんとのやり取りすらLINEを使う時代だ。
おそらく、今の中高生にとって一番目にする活字ってチャット形式で書かれたものなんじゃないだろうか。
そうなると、チャット画面の体裁で書かれた活字が自然なものとして受け止められる。
普段小説をよく読んでいて、中高生時代はまだメールが中心だった世代の僕ですらチャット画面には慣れ親しんでいる。
その慣れた形で物語が読めるチャット小説を「読みやすい!」と感じることも理解できる。
活字を読むという行為は、同時に活字を見る行為でもある。
視覚に頼って情報を摂取しているんだから、デザインが重要な役割を持つのもよくよく考えれば当たり前だ。
旧来の?書籍という形で物語を作り出す作家でもデザインにこだわる人はいる。
京極夏彦が、ページをめくる際に文章をまたがないようにするという話は有名ではなかろうか。
チャット小説も同じ理屈だ。
今の若い世代にとって視認しやすい活字表現のデザインがチャットだということだ。
現状では、読者層の趣向とチャットという形に制約故か、チャット小説は学園恋愛モノとホラー作品が中心だ。
だが、現代日本では20代も30代も、さらにはもっと上も、チャットアプリにどっぷり依存している。
そんな大人たちの中で、チャット小説って読みやすいよね、という感覚が広まるのも時間の問題のような気もする。
そうすると、ジャンルの偏りもなくなり、さらにチャット小説が盛んになる日がくるかもしれない。
もしかすると、1年後のあなたは、チャット小説を当たり前のように楽しんでいるのかもしれない。
佐藤義典『ドリルを売るなら穴を売れ』の感想文
佐藤義典『ドリルを売るなら穴を売れ』
ドリルを買う人が欲しいのは果たしてドリルなのか。
答えは、NO
もしかしたら、自宅に様々なドリルを並べて鑑賞するという世にも珍しい趣味の人もいるのかもしれない。
ただ、ドリル購入者の99%以上は、そのドリルで穴をあける。
ドリルじゃなくて、その穴が欲しい。
穴が欲しいから、ドリルが必要になって買う。
こんな感じで、マーケティングの超基礎を説明してくれるのが、今日紹介する『ドリルを売るなら穴を売れ』。
もう10年くらい前に発売された本書だが、今でもマーケティングを学ぶ多くの人にとって入口になる。
マーケティングとかに関わる若いビジネスパーソンとか、ビジネスを勉強したい学生とかがよく読んでいるイメージ。
実際に僕も、とあるWebサイトを運営している会社でインターンをしていた時に課題図書として渡された。
小説を中心に感想を書いているこのブログで、どうしてマーケティングの入門書なんて紹介するのか不思議に思う人もいるかもしれない。
マーケティング分野に興味がある人なら僕が紹介するまでもなく知っているだろうから、わざわざ取り上げるまでもないかもしれない。
ただ、僕は、
「普段の生活や仕事でマーケティングなんて関係ないよ!」
って人にこそ、この本を読んでほしい。
理由は2つ。
- 物凄くカンタンなことしか書かれていないから。
- この本を読むと実生活がめちゃくちゃ楽しくなるから。
まず、一つ目の理由。
この『ドリルを売るなら穴を売れ』という本には小難しい話は全然出てこない。
実際に自分で何かを購入するときに、何を考えていますか?
その時に自身の頭の中で起こっていることこそがマーケティングのメカニズムですよ。
というのが本書の主旨だ。
自分が買い手となるときのことを想定しながら、マーケティングを考えてみようという本。
だから、本書で取り扱う専門的な理論はかなり厳選されている。
- ベネフィット
- セグメンテーションとターゲティング
- 差別化
- 4P
本書で紹介されている理論は、この4つだけ。
4つだけなら、なんとかなりそうでしょう?
もしかすると、少なくてない?と不安になるレベルだけど、マーケティングの核の部分が取り出されているので、入門という段階ならこれで十分なのだろう。
そして、その4つの理論も小説仕立てのストーリーで、感覚的に理解できるように説明されている。
仕事をするうえでこの本に書かれていることを実践しろと言われたら難しい。
だけど、「マーケティングってこんなもんなんだな」と何となくの理解をするのなら容易い。
おそらく高校生とかが読んでも、全然ついていける。
そして二つ目の理由。
この本の内容がおぼろげにでも掴めると実生活が楽しくなる。
これは僕の体験に基づく感想だ。
先ほどインターンを“していた“という話をしたが、これ過去形ですよね。
そう。今はもうしていないんです。
だから、ぶっちゃけると今の僕の生活でマーケティングを意識する必要ってあまりない。
何かを売らなきゃ!
サイトのPV増やさなきゃ!
という状況ではない。
このブログのPV自体は増えてほしいけど…(笑)
ただ、身の回りには「マーケティング」が溢れている。
このブログサイトに表示される広告だってマーケティングだし、
毎日乗る電車のつり革広告も、Twitterに流れてくるプロモーションツイートもまた然り。
今日の昼間に書店で本を購入したときだって、近所のパン屋で朝ご飯を買ったときだってそうだ。
日常のあらゆる買い物の裏に、買わせようとした売り手の存在が見えてくる。
この製品を作った会社は、この理論、この考え方で、こんなパッケージにしたのかな。
なんて想像するといつもの買い物が楽しいものになる。
マーケティング理論を使う場面なんてない!
と思っているあなたにこそ読んでほしい。
あなたの生活がいかにマーケティングに囲まれているかが分かるはずだ。
同じ場所を歩いていても、見える景色が変わってくるかもしれない。