東大文学部の読書感想文

東大文学部。好きな本や最近読んだ本の感想を書きます。ニュースや本屋で目にした、本にまつわる気になる事も。

読書家は「国語」が本当に得意なのか。

国語という科目は多くの学生を悩ませてきた。

 

  • 単語帳を覚える
  • 公式を使いこなせるようになる
  • 例題演習を重ねる

といった分かりやすい勉強法がない(と考えられている)ため、

成績がなかなか上がらず多くの中高生が国語に苦しめられてきただろう。

 

真面目に勉強して、他の教科ではかなりの高得点をとるのに、どうしても現代文の読解ができない人がいる一方で、

宿題もちゃんとやらず、授業中に居眠りしているような落ちこぼれが、何故か国語の点数だけ異様に良かったりする。

 

きちんと勉強することと、成績相関性が現れにくいせいで、本を読む習慣の有無が国語の成績に直結すると考える人も多いのではないだろうか。

 

この「読書家、国語得意説」に対して僕なりの答えを述べていきたい。

 

 

個人的な経験

まず、最初に僕自身の個人的な話をしたい。

 

大前提だが、こんなブログを書いているくらいだから読書は好きだ。

小学校高学年くらいから本格的に小説を読み始め、中学生のときは週に文庫3冊くらいのペースで紹介していたと思う。

人生における読書量のピークは中三の秋だ。

高校受験に備え、夏休みに部活を引退したものの、勉強をさぼってずっと本を読んでいた。

そして、高校に入ると僕は読書から離れていった。

部活が忙しかったのもあるが、「本が友達」状態の内向的な自分を変える必要があると思い、意識的に読書を禁止し、学校の友人たちと積極的に交わるように改めたからだ。

それでも、平均的な10代の少年と比較すればかなり本を読むタイプに分類しても問題ないだろう。

 

次に成績の話に移ろう。

この際だから、正直に告白しよう。

高校時代の僕の成績は相当悪かった。

間違いなく、落ちこぼれだった。

高校には部活をしに行っているようなもので、授業は半分くらい居眠りをしていた。

地方の中堅どころの公立進学校で学年全体の下数人という立ち位置だった。

その頃受けた全国共通の模擬試験の成績は、どの教科も全国平均を下回っていた

 

ただ、今日の本題の国語の成績だけは良かった。

もちろん勉強していないので古文漢文を含む国語全体の成績は酷いものだった。

現代文に限定すればそれなりに成績は良かったと記憶している。

しかし、あくまでも「それなり」に良かっただけだ。

 

確かに、一かけらも勉強していない他教科に比べれば、格段に良い点数を取れた。

でもそれだけ。

当時の僕は、全教科が「不得意教科」だった。

ただ、国語だけ唯一「不得意」の枠からは何とか脱していたに過ぎない。

 

 

要するに何が言いたいのかというと…

本を読む習慣があるということは、

「国語(特に現代文)が不得意で、全くできない状態を脱する要素にはなる」

という程度には役に立つ。

 

これが結論だ。

 

 

ここからは、僕がこの結論に至った理由を挙げたいと思う。

 

 

読書家が国語が苦手になりにくい理由

 

①長い文章を読むことに対しての嫌悪感がない。

国語ができない!と嘆く中高生の多くは、そもそもあの長い問題文をちゃんと読むこと自体を苦痛に感じている。

普段から数百ページの本を読みこなしている本好き少年/少女は、まずその第一関門を突破できる。

これが意外と大きい。

 

②語彙力で差が出る。

普段から文章を読んでいることで、多くの言葉に出会うのは利点の一つだ。

慣用句や四字熟語、筆者の気取った詩的な表現なんかを抵抗なく咀嚼できれば、国語の試験への苦手意識は間違いなく軽減される。

 

③日本語の文章の型に慣れ親しんでいる。

これが一番大きい利点だ。

本をよく読む人は、日本語の文章の型を知っている。

例えば、文章で意見を言うときには言い換えがなされるとか、逆接を使うことで自分の意見を強調するとか、小説なら起承転結があるとか…

いつも本を読んでいる人は無意識に理解してるが、文章には仕組みがある。

その仕組みを理解していると、読解の大きな助けになる。

 

 

まとめ

この3つの理由から、読書家は国語に対して苦手意識を持たずにすむ場合が多いと考えている。

ただ、皆さんも勘づいているかもしれないが、これは些細な利点だ。

0と1との間の壁は大きいかもしれないが、読書習慣のない人でも国語の勉強を始めればすぐに習得してしまう能力に過ぎない。

だから、読書家は国語という科目において、スタートダッシュは切れるし、苦手にはなりにくいが、受験の際に明確な武器にできるほどかというとNOという答えになる。

 

 

 

読書家だからといって国語が得意とは限らない理由

最後に、読書が好きだからって、国語が抜群にできるようにはならない理由を説明したい。

これは、超単純な理由がある。

 

国語は他の教科と同様に勉強によって伸びるから!

 

冒頭で、「国語には分かりやすい勉強法がない(と考えられている)」と言ったが、これは大きな誤解だ。

 

国語はちゃんと勉強すれば、ちゃんと伸びる。

 

日本史で、人名や年号を覚えるように…

数学で、微分積分の仕方を覚えるように…

科学で、元素記号や化学式を覚えるように…

 

国語も、ちゃんと理解して覚えれば点数が伸びる教科だ。

読書はあくまで趣味であって、勉強ではない。

本が好きとかいうあやふやな点に、国語の成績の原因を求めるのは間違いだ。

 

現代文だって、正しい取り組み方を学べば、努力に応じて成績は向上する。

ただ、普通の学校における国語の授業はそれを教えてくれない。

教科書にのった名作をみんなで読んで、先生が言う解釈を何となく聞き流すだけ。

それが良くない。

文章の主張を、論理的に抜き出す技法を指導する環境がないから、タイトルみたいな神話がはびこってしまうのだ。

 

このブログはあくまで読書がテーマです。

頑張って勉強しなくてはいけない中高生に、しょうもない神話(笑)に惑わされてほしくないな~と思ったので、ブログの題材に取り上げてみただけです。


だから、「じゃあ具体的に国語はどうやって勉強するの??」というノウハウをここで書くことはしません。


まあでも、言いたいことだけ言って、ここで逃げるのも卑怯なので、

もし、具体的な勉強のことで聞きたいことがあればコメントやTwitterのリプライで質問してください。

できるだけお答えするようにします。

 

 

【追記】

ここで書いたことはあくまで僕の個人的な考えです。

僕の考えが絶対だと主張するつもりはありません。