東大文学部の読書感想文

東大文学部。好きな本や最近読んだ本の感想を書きます。ニュースや本屋で目にした、本にまつわる気になる事も。

「読後感」ってなに??

「読後感」という言葉がある。

 

辞書を引くと、「本などを読んだあとの感想」とあった。

 

うん…。たしかに…。

何の文句もない。

…それであっている。

 

だが、一般的にある小説の「読後感」を語るとき、

その言葉が指す意味は、辞書から少しだけ離れているような気がする。

 

例えば、「読後感」が良い/悪い、という言い方をよく耳にする。

これを、「本などを読んだあとの感想」が良い/悪い、と変換するとなんだかしっくりこない。

「本などを読んだあとで感じたその本への評価」が良い/悪い、と直せば日本語としては正しくなりそうだが、でも、たぶんそういうことじゃない。

きっと、手触りが良いとか、味が悪いとかみたいに、使える言葉だ。

 

では、結局のところ、「読後感」って何なのか。

 

簡単にいえば、その本の印象のことだと思っている。

感想と印象は似た言葉だけど、少し違う。

たぶん僕たちは自然に使い分けている。

感想は言語化して語るもの。

印象はもっとあやふやで感覚的なもの。

 

 

人と会って、その人の感想を語るときはたぶん具体的だ。

「周りに気を使える人だね」とか、「ネクタイがお洒落だった」とか…。

 

でも、人の印象はもっと抽象度が高い

なんか良い感じの人だった!という表現がまかり通る気がする。

 

 

たぶん「読後感」も一緒だ。

 

本を読み終わったその瞬間の印象

感想にまで昇華していない、もっともっとあやふやで壊れやすい感覚的なもの。

 

たぶん、皆さんも、こういったイメージで「読後感」という言葉を使っているのではないだろうか。

もし違ったら、教えてください。お願いします。

 

 

さて、こう考えると先ほどの、「読後感」が良い/悪い、という表現も納得できる。

その本を読んだ直後の原始的な印象が、何となく良いのか悪いのか。

そういうことだ。

 

イヤミスと分類される小説がある。

読んだ後、なんだか言い知れぬ不快感に襲われる。

何となく、嫌な気分になる。

でも、その不快感がなんとなく癖になる。

それが面白い。

そういうジャンルだ。

 

イヤミスといえば、イヤミスの女王」湊かなえさん。

特に彼女のデビュー作である『告白』は典型的なイヤミス作品に挙げられる。

 

そしてちなみに、僕は、この作品が大好きだ。

同時に『告白』を読み終わった瞬間の疾走感が好きだ。

ただ、青春小説のような爽やかな汗が伴う疾走でも、サスペンス作品の手に汗握るドキドキのアクション的な疾走でもない。

ジメジメとした暗闇を何かに追われているような疾走だ。

具体性のない恐怖を感じる悪夢を見た後の感覚に近い。

 

 

これも読後のファーストインプレッションを重視した考え方だ。

文字の並びから生まれる情報のうち、

ストーリーとか、文学性とかよりもっともっと感覚的な部分。

ただただ読み手の感覚的なところを刺激する効能に着目した考え方だと思う。

 

 

散々、好き勝手、「読後感」という言葉について思うところを語ったわけだが…。

僕は、この部分を非常に重視している。

 

最後の一ページを読み終わり、本を閉じて、目の前に置く。

そして目をつぶる。

この瞬間に、自分がどういう感覚でいるか、が僕にとっての「読書感」だ。

 

そして時折、格別の「読後感」を生み出す一冊と出会う。

だから読書はやめられないし、とまらない。