東大文学部の読書感想文

東大文学部。好きな本や最近読んだ本の感想を書きます。ニュースや本屋で目にした、本にまつわる気になる事も。

太宰治『晩年』の感想文

太宰治『晩年』

 

 

夏目漱石『こころ』

森鴎外舞姫

 

どちらも、国語の教科書の定番だ。

授業で読んだ、という人も多いはず。

 

「教科書なんて開いたことない!!」なんて言う不真面目な学生ならともかく、

夏目漱石森鷗外の文章は多くの人が読んだことがある。

 

しかし、作風の都合か、作者本人の人間性やら略歴の都合か、太宰治の作品は教科書ではあまり目にしない。

 

そのため、知名度に反して太宰の作品を読んだことがない人は多いのではないだろうか。

 

そして、太宰治のデビュー作を知っている人となるとさらに少ないのではなかろうか。

 

1936年、太宰にとって最初の単行本『晩年』が刊行された。

そして、本書に収録されている「列車」という短編こそがデビュー作とされている。

今回は、この「列車」を紹介しようと思う。

 

走れメロス』、『御伽草子』、『斜陽』、『ヴィヨンの妻』、『人間失格』など、

数ある代表作を差し置いて、『晩年』を紹介するのを不思議に思う方もいるかもしれないが理由は簡単だ。

 

大学の授業で取り扱ったからだ。

 

 

1933年、太宰治は、その年の2月19日に発行された『サンデー東奥』にて「列車」を発表した。

この年は、彼が太宰治というペンネームを使い始めた年でもある。

 

そして、この短編「列車」は、1936年に刊行された第一創作集『晩年』の四番目の作品として収められた。

 

 

本作では、「つい昨年の冬、汐田がテツさんを国元へ送りかえした時のこと」が語られる。

 

「私」と汐田は高等学校時代の同級生であり、同じタイミングで東京の大学へと進学する。

そして、3年ほどたち、二人の関係性も疎遠になったある日、

汐田が「私」を訪ねてくる。汐田の元に幼いときからの仲であるテツさんがやってきたというのだ。

東京の大学に進学し、「冷めて」しまった汐田はテツさんを国元へ送りかえすという。

そんなテツさんを、妻と共に「私」が駅へ見送りに行く。

そこで「私」は不快で苦い思い出を作る。

 

それだけの話だ。

 

文庫本でわずか数ページの短い作品だが、

この作品を読むだけでも太宰治という作家がいかに優れているかがわかる。

 

この作品には、幾度となく時間を示す語が表れる。

 

「私」の回想は、高校時代大学入学三年目の冬と始まり、

そのあとはテツさんが国元へ帰る列車の発車時刻を起点にして、四五日(前)当日三分前間近と進む。

 

列車の発車の瞬間の一転に向かって、時間的幅を狭めていく。

 

しかし、列車が進む直前になるにつれ、文中からはじりじりとした空気が醸し出してくる。

 

時間的な収縮とは裏腹に、文章表現として、また感情表現としては遅々とした印象を与える。

 

太宰は、時間を示すワードを順番に並べるだけで、

時間の経過に身もだえる人間の心情をうまく表現している。

 

 

また、「私」は、自身が無学な田舎女である妻と結婚しているのにも関わらず、

自分たちと似たような構図の汐田とテツさんの関係を観察する。

 

その中で、汐田と結ばれないテツさんに自分と結婚している妻を紹介し、

私自身も汐田に不愉快な感情を抱きながら、

必要もないのにテツさんの見送りに向かい苦い思いをし、

八つ当たりする形で過去を振りかえる。

 

太宰自身もこの『列車』を発表する一年前の1932年に、

反社会的な思想団体との関わりから警察へ出頭し、

さらにその一昨年(つまり、1933年の三年前)には、芸者の初代と結婚している。

 

そして、さらに太宰自身の個人史を過去に振り返ってみれば、自大学入学、状況、郷里での高等学校生活と「私」に類似が確認される。

 

つまり、『列車』の語り手である「私」は、太宰自身の等身的存在であり、

また同時に、「私」が汐田とテツさんを観察する構図と同じく、

太宰が「私」を観察するという構図たりえる。

 

  1. 太宰→「私」→汐田という観察の構図
  2. 太宰=「私」という仮託の構図
  3. 太宰治という筆名を用いての最初期の作品であるということ

 

非常に複雑な構図をもって、太宰自身の半生に対する回想的要素も有している。

「列車」は、こうした点からも非常に興味深い短編だ。

 

太宰治の小説は何冊か読んだけど、初期の作品は知らないな…。

という方は読んでみてほしい。

 

 

 

晩年 (新潮文庫)

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