灯火親しむ秋の読書
- 読書の秋
- スポーツの秋
- 食欲の秋
○○の秋、という言葉は果たしていくつあるのだろう。
秋という季節はイベントが少ないから、その分こうして人々を急き立てて、購買意欲を生み出そうとしてるんだ。
なんて話を聞かされたことがあるのだが、本当だろうか。
昨今は秋にもハロウィンなんていうイベントが定着しつつあるから、○○の秋なんて言葉もそのうち存在感を減らしていくのだろうか。
渋谷で半狂乱の騒ぎをするより、家でゆっくり本を読む読書の秋の方が性に合うのでそれは困る。
そもそも読書の秋という言葉の由来は何なのだろう。
中学生の時に、国語の教師が教えてくれたのを今でも覚えている。
本ばかり読む子どもに否定的な大人が大勢いるなかで、読書を奨励してくれる彼は僕にとってはありがたい大人だった。
韓愈という人が残した詩に、
「灯火親しむべし」
とある。
要するに、秋の夜は灯火の元で本を読むのに相応しい、ということだそうだ。
これが読書の秋の由来だそうだ。
一応Google検索で調べたので間違いないだろう。
もし違っていたら、国語教師のO氏に文句を言いに行かねばならないところだ。
現代の僕たちは、暑い夏でも寒い冬でも、好きな温度に調整して、明るい電灯の元でいつだって本が読める。
これ自体はとてもありがたいのだが、韓愈が感じた秋の読書の素晴らしさはなかなか実感しにくいのも事実。
それでも、秋になると冷房や暖房に頼らず、窓を空けて網戸にして、カーテンを揺らしながら入り込む微かな風を感じながら本を読める。
アスファルトに囲まれた都会にいながら少しだけ自然を体感できる。
本を読むいつも通りの時間が普段より少し詩的に思えてくる。
悪くない。