東大文学部の読書感想文

東大文学部。好きな本や最近読んだ本の感想を書きます。ニュースや本屋で目にした、本にまつわる気になる事も。

Wikipediaを引用するということ

最近人気のとある本を念頭においたお話なのは、皆さんもお分かりでしょう。

ただ、僕自身は、この本を読んでいないし、買ってもいない。
未読の本の感想なんて書けない。
批評なんて以ての外だ。

だから、この本のことを個別にどうこう言うつもりは全くない。



今回は、

「大学」という場所において、引用というものをどう考えているのか

ということをお話ししたい。


まず、大前提がある。
それは、「コピペ厳禁」というものだ。

これはたぶん、どのようなシーンでも当然のことだと思う。
人の書いたものを勝手にコピーして、それを貼り付けたものを自身の書いたものとするのはありえない。

だが、大学において先生方が「コピペはダメですよ」と言う時、それはこの言葉通りだけの意味ではない。

まず引用という考え方について。
引用は必須だ。
なんの根拠もなく自分の考えだけ書いたって、論文やらレポートやらとして機能しない。
先行研究の論文、原典などを参照し、その一部を引用するというのは大切な作業だ。
だから、引用することに関しては特に問題はない。

気をつけなければいけないのは二点。

①絶対に引用元を示すこと。
著作者の名前、書名、出版社の名前、頁などをしっかりと示すことが大切だ。
もし、これがなければ先生方には怒られ、突っぱねられるし、剽窃だと言われても文句は言えない。

Webの資料を参照する場合にも、そのサイトのURLをちゃんと添えなければならない。


②あくまで引用は添え物であるということ。
提出するレポートや論文の本体はあくまでも自分の意見だ。
引用は結構だし、先行研究を紹介するのも問題ない。
しかし、その引用部分が主になってはいけない。
自分の意見の補強材料として引用を使うのが本来のあり方で、引用部分が本体になってしまっては全く意味が無い。。




次にWikipediaを引用するということ。

文学部の先生方によく、「ネットの資料を参考にする時は気をつけてください」と言われる。

何も、先生方がネットを軽んじているわけではない。
ネットの情報は玉石混交だからだ。
もちろん、書籍の形をとった情報にも質の上下はあるが、ネットの場合はさらに顕著だ。
特に、Wikipediaは多くの人が編集可能だ。
最近だと、山手線の新しい駅である高輪ゲートウェイの記事において、「高輪ゲイ駅」みたいに書き換えるイタズラがあったらしい。
このようなイタズラばかりではないが、誰でも編集可能なWikipediaでは情報の信頼性に疑問がある。

もちろん、Wikipediaは便利だ。
参考にするのは問題ないし、何かを調べる入り口にはもってこいだ。
だが、完全に信じていい資料では無い。
そのため学問の世界では、Wikipediaを引用することはないし、そこに書いてある情報をそのまま使うことも基本的にはない。
ありえないと言ってもいい。




ここまで書いてきたことは、あくまで文学部という限定的な環境で引用とかWikipediaとかについて、どう考えられているか、というお話です。

もちろん、他の学問分野や、出版界では考え方が少し違うかもしれません。

文学部で勉強してる人たちはこう考えているんだなという程度に受け止めてくだされば幸いです。