東大文学部の読書感想文

東大文学部。好きな本や最近読んだ本の感想を書きます。ニュースや本屋で目にした、本にまつわる気になる事も。

阿川大樹『終電の神様』の感想文

阿川大樹『終電の神様』

 

 

帰り道に立ち寄った本屋さんでこの本を目にした。

 

ちょっとメルヘンチックな表紙に、「終電」「神様」の文字が躍る。

少し不思議な組み合わせ。

『終電の神様』というタイトルと表紙のイラストに惹かれて試しに購入してみた。

 

ちなみに、阿川大樹という作家さんの小説を読むのは初めて。

アガワダイキと読むのだと思い込んでいたが、感想文を書くにあたって調べたところ勘違いに気が付いた。

アガワタイジュさんが正解のようだ。

 

 

さて、本書の紹介に移ろうと思う。

 

『終電の神様』の骨子は心温まる感動のヒューマン・ミステリー短編集だ。

だが、本作の短編たちには一つのポイントがある。

それは「電車」

夜遅くの満員電車が人身事故の影響で大幅に遅延するところから物語は展開し、

本作には、この「電車」にまつわる7つの短編が納められている。

 

電車というのは不思議な空間だ。

 

まず、日常ではなかなかお目にかかれないぐらいの多様性がある。

普通、外を出歩いていると、その空間にいる人のタイプにはある程度偏りが生まれる。

 

ファストフード店なら若者が多いし、高級なレストランなら裕福な方が多いだろう。

スーパーには主婦が多いし、アパレルショップには女性が多い。

オフィス街ならスーツ姿のサラリーマンが多数派だし、学生街なら学生がマジョリティーだ。

 

だが、電車という空間はその偏りがかなり少ない。

老若男女の隔たりなく乗車する。

金持ちも貧乏人も、仕事の人も、休日の人も…。

本当に多種多様な人々が居合わせる。

それが電車だ。

 

しかし、それだけではない。

電車に、満員という言葉がくっつくと、さらに特殊な空間になる。

満員電車では、人々がパーソナルスペースを諦める

周囲の人々と至る所が触れ合い、呼気を感じ、各々の体臭まで手に取るように分かる。

日常であれほど他人と密着することなんてなかなかない。

電車以外だったら皆、たぶんとても耐えられないだろう。

それなのに、満員電車では、僕たちは自分の縄張りを撤回し、人の群れに身を投じる。 

 

 

本作は、この電車という特殊なアイテムを実にうまく活用している。

7つの短編の主人公たちは、基本的に普段の生活では関わりのない多様な人たちだ。

彼らのそれぞれの物語が、電車の存在によって一つの作品に巧妙に織り上げられている。

 

 

そして、もう一つ、本作の魅力を語りたい。

『終電の神様』は、叙述トリック風味の仕掛けが実に楽しい。

本作の短編には血生臭い事件は発生しない。

だから、殺人事件の謎を解き明かすための重要なカギになるような大仰な仕掛けが施されているわけではない。

いくつかの短編の中に、配置された叙述の引っ掛け要素がヒューマンドラマに実に良い味付けをしてくれている。

 

 

僕たちが毎日のように乗り込む電車。

ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に辟易したり、運よく座れて喜んだり、スマートフォンで暇を潰したり…。

だが、少し目線を上げると、本当に色んな人たちが目に入る。

電車に乗り合わせただけの雑多な他人たちだが、この人たちにもきっと物語がある。

そう思うと、憂鬱な電車移動の時間が少しだけ楽しいものになるかもしれない。

 

 

 

終電の神様 (実業之日本社文庫)

終電の神様 (実業之日本社文庫)