伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』の感想文
伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』
11月1日の午後。
いつも通り、スマホの電源をつけ、青地に白い鳥のアイコンをタップし、画面を指でなぞった。
ルーティンをこなす僕は、友人・知人の他愛ないツイートに紛れ込んだ
「伊坂幸太郎、1年ぶりの新作長編」
の文字列に目を奪われた。
伊坂幸太郎の新作『フーガはユーガ』が、11月8日、に刊行することが発表された。
あらすじは秘密、とのことだが、実業之日本社のHPを見るだけでワクワクしてくる。
だが、ここで僕はあることを思い出した。
何ヶ月か前に購入したはずの、『火星に住むつもりかい?』をまだ読んでいない。
積読の群れの中に埋もれてしまっている。
これはまずい…。
というわけで、本書を急いで読むに至った。
父親が好きだったこともあって、伊坂作品は昔からよく読んだ。
パッと思いつくだけでも、
『オーデュボンの祈り』、『ラッシュライフ』、『陽気なギャングが地球を回す』、『重力ピエロ』、『アヒルと鴨のコインロッカー』、『チルドレン』、『グラスホッパー』、『魔王』、『砂漠』、『ゴールデンスランバー』…
どれも本当に面白く、代表作はこれだと決めるのが難しい。
『火星に住むつもりかい?』も、いざ読み始めてしまえば、
超高打率な小説家・伊坂幸太郎の作品に相応しい面白さで、あっという間に読み終わる。
なんで、数か月も放置したのかと悔やむばかりだ。
さて、本作『火星に住むつもりかい?』では、理不尽なディストピアが描かれる。
ただし、ディストピアといっても例にもれず舞台は仙台。
(余談だが、昨年、仙台に旅行してからというもの伊坂作品への愛着が一層増した気がしてならない。)
地方都市仙台を舞台に、伊坂ワールドが展開され、大勢の登場人物があちこちに配置されていく。
そして、怒涛の伏線回収祭りが始まる。
この定番の構図は本書でも相変わらずで読者の期待に応えてくれる。
『火星に住むつもりかい?』では、「平和警察」が管理するディストピアが仙台に展開される。
ディストピアの住民たちは互いに監視、密告しあい、
ひとたび危険人物だと認定されれば「平和警察」に連行され、
取り調べ(拷問)の結果、自白し、処刑される。
そんな舞台設定のなか、「平和警察」の面々や、善良な市民たち、そして市民に紛れ込んだ危険人物、されには「平和警察」に敵対する正義の味方までもが配置される。
こうして風呂敷を広げ切った伊坂的ディストピアがどんな結末を迎えるのか…。
正義とはなんなのか…。
今回の感想文では、伊坂作品の醍醐味である伏線回収を損なわないよう、
この先に言及するのは控えておこうと思う。
良作揃いの彼の作品の中で、傑出して面白いかといわれると首を傾げるしかないが、
及第点はキッチリ突破していることは間違いない。
最後に、本作で、印象に残ったある一節を紹介したい。
「ええ。偽善だ偽善だと叫ぶ人は、単に、『良さそうなこと』をやっている人が鬱陶しいだけなんじゃないか、って」
募金をする人。
ゴミを拾う人。
老人に手を貸す人。
迷子の子どもを探す人。
善行をする人の存在は、
善行をしなかった自分という影をより濃いものにする鮮烈な光源だ。
『良さそうなこと』をやっている人が、自分を責め立てるような気持になる。
だから彼らのあらを探して、根っからの善ではなく、偽りの善だとレッテルを貼って光を弱めてやる。
やらない善より。やる偽善??
→今回紹介した『火星に住むつもりかい?』
→伊坂作品の中で一番好きな『砂漠』