高林さわ『バイリンガル』の感想文
高林さわ『バイリンガル』
僕は、これまで読書感想文を書くにあたって、
紹介する本についてネガティブな表現は控えるようにしてきました。
未読の人にとっては、この先の素晴らしい読書体験の阻害になるし、
読んで面白かった!と思っている人にとっては、その喜びに水を差すことになる。
それに、そもそも、自分が読んで楽しめなかった本を感想文として紹介してもね…。
でも、今回の『バイリンガル』の感想を書く以上、多少ネガティブなことも書かないわけにはいかなそうです。
正確には、
全体としてはポジティブな評価と、
部分的にネガティブな評価を。
まず、『バイリンガル』という小説自体は、非常に面白い。
息子と二人暮らしの聡子の下に、アメリカ人のニーナという女性が訪ねてきたところから物語が始まる。
ニーナは30年前に起きた母娘誘拐事件の被害者(娘の方で、当時3歳)なのだが、
当時の事を、聡子(アメリカに留学して言語学を学んでいたため幼少期のニーナと面識がある)に教えてもらいたいというのだ。
ちなみにニーナの父親はアメリカ人の大学教授だが、母親は日本人。
これが後々、カギになる。
このことをきっかけに過去の誘拐事件が語られ、事件の真相が明らかになっていくというストーリーだ。
現在の聡子とその息子、ニーナ達の境遇と照らし合わせながら語られていく誘拐事件には、小説の読者としてかなり引き込まれる。
聡子が時系列に沿ってニーナに語るのだが、
早く結論を教えてくれ!とモヤモヤするくらいだ。
母娘誘拐事件というくらいだから、ニーナは母親と共に誘拐されている。
ある種お決まり的な展開だが、母親はニーナを救うために奮闘する。
30年前の事を振り返っているというのに、その奮闘は情感たっぷりに伝わってくる。
『バイリンガル』の、こうしたサスペンス的側面は本当に面白い。
だが、この小説を本格推理小説と捉えたらどうだろう。
(裏表紙にも「暗号を駆使した傑作本格推理小説」とあるくらいだから、本来この捉え方で語るのは間違いではないはずだ。)
本作のトリックはかなり斬新で面白い。
僕は、謎が明かされるシーンには非常にわくわくした。
だが、このトリックがあまりにもアンフェアなのだ。
※ここからは、『バイリンガル』の超核心のネタバレがあります。
ご注意ください。
現地のアメリカ人と、留学生の聡子のような日本人、そして前述したように日米ハーフのニーナ。
聡子が学ぶ言語学。
こうした場面設定を最大限に活かす本書のトリックが「言葉」だ。
聡子は、子どもが、言葉を間違えて発音してしまう言語障害を研究しているのだが、これが本作のトリックの肝になる。
誘拐されたニーナも、この言語障害の症状があり発音が不正確なのだ。
ニーナの言葉は、ニーナ本人に無自覚に嘘がある。
これに我々読者は騙される。
しかし、作中のニーナの発言は英語なのに、小説内では日本語で表記されている。
確かに、作中に何度も登場する言語学というアイテムがポイントになることはわかる。
ニーナの発言に(発音の間違い故の)嘘が含まれており、そこにミステリーを解決する要素が含まれていることも察せられる。
だが、英語で語られ、英語であることでトリックとして成立するのに関わらず、
日本語で表記されており、
読者側が翻訳しなければいけないのは推理小説としてはアンフェアだ。
僕は、推理小説好きであるが、あまり謎解きをしようとは思わない。
そのため、推理小説の公平さには比較的無頓着だ。
だから、『バイリンガル』もサスペンスとして楽しめるし、
言語学を用いる新しいトリックにも感心した。
本作をけっこう気に入っている。
だが、『バイリンガル』を本格推理小説として思いっきり楽しみたいという読者にとっては、いささか納得できない仕上がりなのではないだろうか。
(実際、トリック自体は面白く秀逸だと思うので、ミステリーファンにも読んでほしいのだが…)
冒頭で、僕は、「全体としてはポジティブな評価と、部分的にネガティブな評価を」と述べた。
『バイリンガル』という作品全体のストーリーや、登場人物の語る思い、カギとなるトリックなどにはポジティブな評価、
本格推理小説としての公平さという僅か一部分に関してだけはネガティブな評価、
を贈りたい。