米澤穂信『王とサーカス』の感想文
米澤穂信『王とサーカス』
これまでに書いてきた、僕の感想文。
なんだか、少し古めの本が多いですね…
そこで、たまには、今、本屋で売れている本を題材にしてみようかなと…。
今回は、米澤穂信の『王とサーカス』の感想文です。
先日も『氷菓』の感想を書いたばかりなので、勘の良い方はお気づきでしょうが、
僕は、米澤穂信という作家が好きです。
米澤穂信といえば、
『春季限定いちごタルト事件』から始まる〈小市民〉シリーズ、
といった身の回りの謎を解く事をきっかけに、
いつの間にか深みまでたどり着くタイプの小説が有名ですね。
これらのシリーズは、ミステリーであると同時に、
高校生が主役の青春小説的側面も強く、
そのため米澤穂信は若い読者に人気な作家です。
他にも、『インシテミル』、『ボトルネック』、『満願』、などなど。
映像化された作品も多く、現在最も売れる作家のうちの一人といえるのではないでしょうか。
さて、『王とサーカス』に話を戻します。
本作は、『さよなら妖精』の10年後の大刀洗万智が主人公ですが、続編というわけでもないみたいです。
『さよなら妖精』を読んでなくても楽しめるし、読んでいたらより一層楽しむことができる、といった感じ。
現に自分も、中学生の時に『さよなら妖精』を読んではいるのですが、内容が全く思い出せない。
(あらすじを見て、おぼろげに思い出せたものの、ディテールは完全に抜け落ちています…。)
『王とサーカス』のあらすじを簡単に説明すると、
①フリージャーナリストの大刀洗万智が旅行記事の取材にネパールのカトマンズを訪れる。
②万智がカトマンズを観光?取材?
③ネパールの王宮で王族殺害事件が発生。
→犯人は王族の一人??
④万智はジャーナリストとして、事件の取材を始める。
軍人の一人ラジェスワルに取材。
⑤背中に「INFORMER」と彫られた、ラジェスワルの死体を見つける。
↓
そしてその後も取材を進め、推理・解決パートへ…。
・何故、彼は殺されたのか。
・「INFORMER」の意味は。
・王族殺人事件とはどう関係しているのか。
ラジェスワルの死の真相を調べるにつれ、真実の裏から更なる真実が飛び出してくる。
ミステリーとしての醍醐味であるこの謎解きパートは、
流石は米澤穂信と言うべきだろうか、驚きに満ち、かなり読み応えもある。
月並みな言葉だが、単純に面白い。
だが、この小説はそれだけで終わらない。
ラジェスワルの死が軸となるミステリーとしての軸に加えて、
万智にとってのジャーナリズムを問う、という軸。
ラジェスワルは取材の際に、
「国王の死を報道するジャーナリストは、悲劇を見世物にするサーカスの団長だ!!」
と(いった内容を)言い残した。
この言葉が万智に重くのしかかる。
これは、作中でも言及されるのだが、
報道写真家ケビン・カーターと「ハゲワシと少女」のエピソードを強く意識した葛藤だ。
1994年、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている『ハゲワシと少女』という写真でピューリッツァー賞を受賞。
写真はスーダンの飢餓を訴えたものだったが、1993年3月26日付のニューヨーク・タイムズに掲載されると同紙には絶賛と共に多くの批判が寄せられた。
そのほとんどは「なぜ少女を助けなかったのか」というものであり、やがてタイム誌などを中心に「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う論争に発展した。
授賞式から約1ヶ月後、カーターはヨハネスブルグ郊外に停めた車の中に排気ガスを引きこみ自殺。
彼はマンドラクスを常用する薬物依存症であっただけでなく、20代の頃に躁鬱病を患っており二度も自殺未遂を起こすなど精神的に不安定な側面があった。
また、死の数年前から衝撃的な写真を撮ることと、そうした写真ばかりが喜ばれることに疑問を抱いていた。
我々は安全で無責任な立場からニュースを「消費」する。
悲劇を見ては、悲しみ、同情し、暗いタノシミを覚える。
そして、なぜ不幸な人々を救わなかったのかと身勝手に責め立てる。
確かに伝える側の倫理観は大切だ。
しかし同時に、
ニュースを受け取る僕たちが、サーカスを見守る観客に成り下がってもいけない。
高品質のミステリーでありながら、
ジャーナリズムの本質へと切り込んでいく『王とサーカス』。
間違いなく、米澤穂信の傑作の一つです。