浅田次郎『蒼穹の昴』の感想文
「浅田次郎、読んだことないの?絶対面白いから、『蒼穹の昴』読んでみてよ」
と言われた僕は、
「じゃあ、読んでみますね」
と軽く答えてしまった。
書店で分厚い文庫4巻にも及ぶ大作と知って尻込みしたものの、
後には引けないので早速購入してみた。
実際に読み始めると、これだけ長い小説のよくある欠点とでも言うべきだろうか、
最初はなかなか物語に入り込めず苦労した。
清朝末期の中国を舞台にしたこの作品の主人公は、二人の若者だ。
糞拾いで生計を立てる(実質物乞い)少年・李春雲と、彼の兄貴分で郷紳(財力のある有力者)の息子・粱文秀。
この二人が中央に昇り、立身出世を目指すところから物語は始まる。
しかし、その手法が違う。
富豪の息子である粱文秀は科挙試験を受けて、官吏として政界を目指す。
一方で、貧しく学の無い李春雲は自ら浄身して宦官になり後宮を目指す。
(浄身は、要するに自分の男性器と睾丸を切り落とすことです…痛そう…)
物語冒頭から二人の境遇が語られ、科挙試験の苛烈さや、宦官の悲哀を伝える文章が長々と続く。
そのまま文庫4巻のうち、最初の巻が終わってしまうほどだ。
読み進める僕は、なかなか進まない物語に焦れてしまう。
ただ、後で分かるのだけれども、ここの部分ってどうしても必要でもある。
そして、粱文秀が科挙に合格し官吏となり、李春雲が宦官として後宮に仕えることになると、
そして、西太后を支持する后党と、彼女を引退させて皇帝による親政を行おうとする皇党が対立する。
こうした中国史における大転換期には数々の有名人が登場する。
まずは后党と皇党が担ぎ上げる西太后と光緒帝。
后党の有力者である栄禄。
変法運動の指導者・康有為やその弟子たち。
他にも、清朝を打倒し新しい時代を作る袁世凱や孫文、毛沢東といった人物。
伊藤博文も終盤に顔を出すし、既に亡き乾隆帝や朗世寧(ジョゼッペ・カスティリオーネ)も大事な役割を果たす。
歴史好きなら誰もが知っている実在の人物たちに加えて、浅田次郎が生み出した架空の人物が入り乱れ、スケールの大きな物語が展開される。
こうしたうねりの中で、粱文秀は官吏として順調に出世し、皇帝側の有力人物となり、また、李春雲も西太后のお気に入りの側近として頭角を現す。
とはいえ、これだけ多くの実在の人物が登場し、欧米列強の進出を受ける中国の洋務運動から変法運動、そして戊戌の政変が展開するのだから、二人の主人公の影はどうしても薄くなってしまいかねない。
ここで、冒頭が生きてくる。
冗長に感じるほど、丁寧に二人の身の上が書かれているからこそ、この二人のキャラクターが読者にとって強い存在感を持ち、最後まで歴史に埋もれることはない。
浅田次郎は、本作で、単に史実を追うだけでも面白い複雑な時代に、主人公をはじめとした架空の人物を配し、歴史そのものの魅力を損ねることなく小説として成立させている。
この技量は並大抵のものではない。
本当に面白い。
勧めに従って読んでみて本当に良かった。