東大文学部の読書感想文

東大文学部。好きな本や最近読んだ本の感想を書きます。ニュースや本屋で目にした、本にまつわる気になる事も。

煙草の文学的副流煙の話

ちょっとだけ恰好つけて、気取ったタイトルをつけてみた。

 

この文章を書いているのは、午前三時過ぎ。

それに、数時間前までお酒を飲んでいて、やっと良いが冷めてきたというタイミングだ。

どうか深夜とアルコールに免じて許してやって欲しい。

 

小説や映画、劇など様々な創作のなかであるアイテムが特定の役割を持つことがある。

例えば、父の形見の懐中時計は主人公を励ます勇気の象徴になる。

大きな姿鏡の存在は着飾った女性を連想する。

僕たちは、身の回りのあらゆるものに様々なイメージを結び付けて生活している。

 

その中でも、煙草というアイテムは特に色濃くイメージを想起させる装置になり得る。

(あくまでも物語中のイメージとしての話なので、現実世界における偏見や差別意識みたいなものと結びつけるつもりはありません。ご理解ください。)

 

若者が煙草を吸えば、非行や暴力などマイナスイメージに繋がる。

特に10代になると、法律では規制されているのに、入手難易度は低い。

火遊び的な「悪事」として使われるアイテムだ。

 

スーツ姿の中年男性に煙草を持たせれば、仕事に疲れたサラリーマンが出来上がる。

路地裏で独り煙草を吸う彼は、妻子からは軽んじられ、職場でも上司に頭を下げ、部下には疎まれている。

煙草の煙は哀愁を漂わせる。

 

ばっちり化粧をした女性が細い煙草を吸えば、男に頼らず生きる蓮っ葉な女の完成だ。

もしくは、恋人の影響で煙草を吸う精神的に不安定なメンヘラちゃんかもしれない。

はたまた、水商売を稼業する孤独な女性かもしれない。

 

 

煙草の銘柄にも、特定のイメージを思い起こさせる力がある。

 

日に焼けたガタイの良い兄ちゃんが吸う煙草はセブンスターだろうか。

休日には、サーフィンといったところだ。

 

しょぼくれた老人が、路頭に迷った主人公に思いがけぬ助言を与える。

この老人がくしゃくしゃに握りしめている煙草は何だろう。

キャスターやマルボロじゃなんだか違和感がある。

わかばやエコー、ショートピースあたりだと雰囲気ってものが出る。

 

必死に働く一家の稼ぎ頭のお父さんが我が家のベランダで吹かす煙草は、ハイライトだろうか。

マイルドセブンも悪くない気がする。

 

 

小説を読む中で、様々な場面で、様々な煙草が、そのシーンを彩る様子を見てきた。

こうした僕の煙草というアイテムから連想するイメージは、個人的な経験に由来するものもある。

だから、皆さんには違うイメージがあるかもしれない。

僕の父はマイセンを吸っていたから、マイセン=父性の図式がある。

赤マルは、ちょっと怖い先輩が吸っていた。

 

ただ、こうしたイメージも小説からどんどん減っていくのだろう。

街角で煙草を吸う人の姿は年々減っていく。

友人知人の中でも、喫煙者は少数派だ。

禁煙の居酒屋も増えてきた。

今の子どもたちが大人になるころには、煙草から連想するイメージは「古さ」になるかもしれない。

 

煙草自体は体に害をなし、もちろん、吸わない方が良いものだ。

この前提を崩すつもりはない。

嫌煙論争をここでするつもりも毛頭ない。

 

ただ、物語から、煙草の煙が消えていくのは少しだけ寂しいかもしれない。