見城徹『読書という荒野』の感想文
見城徹『読書という荒野』
見城徹のプロフィール
・編集者
・大学卒業後、廣済堂出版に入社
・後に、角川書店に入社し、たくさんのベストセラーを手掛けた
→森村誠一『人間の証明』、五木寛之『燃える秋』、つかこうへい『蒲田行進曲』等
→石原慎太郎『弟』、『老いてこそ人生』、村上龍『13歳のハローワーク』、
今回紹介する『読書という荒野』では、
数々のベストセラーを生み出してきた編集者・見城徹の半生が「読書」という切り口で語られている。
「この本が人生を変えてくれた」
「私は、この本を読んで育った」
よく耳にするセリフだ。
べっとり手垢のついた使い古された言い回しだ。
本との出会いが、その人の考えや価値観を生み出したり、変えてしまったりすることはままある。
それは、否定しない。
僕だって、今の自分はあの本の影響を受けているな…と思い浮かぶ小説なんかもいくつかある。
でも、僕たちは、自分自身の人生に影響するほど真摯にその一冊に向き合っていたのだろうか。
『読書という荒野』を読んで僕は少し恥じ入ってしまった。
見城徹の読書は命がけだ。
一冊一冊を必死で読んでいる。
書かれていることを漏らさず吸収して、その裏にある作者の思いにまで迫ろうと鬼気迫る勢いで読書に向き合っている。
だからこそ、自分の人生を振り返る彼の口から語られる、
どんな本を読んで、どんな影響を受けたのか、は途方もなく重い。
読書に対して、荒野を駆けるかの如く、泥臭く、全力で挑む。
そこまでして、やっと、本を読み切ったと言えるのかもしれない。
本書の中で、見城徹は繰り返し極端であることの大切さを説く。
例えば、頑張るにしても極端な頑張りを求める。
24時間寝ないで働いて、最後は血の小便が出た。
よく僕は「圧倒的努力をしろ」と言う。「圧倒的努力ってどういうことですか」と聞かれるけれど、圧倒的努力とはそういうことだ。人が寝ているときに眠らないこと。人が休んでいるときに休まないこと。どこから始めていいかわからない、手がつけられないくらい膨大な仕事を一つひとつ片付けて全部やり切ること。それが圧倒的努力だ。
努力は、圧倒的になって初めて意味がある。
(見城徹『読書という荒野』より引用)
見城徹がやれと言う、極端で振り切れた頑張りは、たぶん現代の社会ではあまり受けない。
効率よくやって、それなりに成功する。
そういうのがカッコイイ。
でも、圧倒的な成功には、圧倒的な何かが必要なんじゃないか。
やれと言われて、本当に「圧倒的努力」ができる人間なんてめったにいない。
僕も、無理だ。
ただ、「圧倒的努力」とは何か、「圧倒的努力」をしている人間がいるんだ、ということを知っている。
これだけでも「頑張る」ということに対してどう向き合えるかが変わるんじゃないかなと感じた。