アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』の感想文
アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』
「一番好きな小説はなに?」
この質問は難しい。
本が好きだ、という人なら一度は聞かれたことがあるはず。
そして、何と答えたものかと、悩んだのではないだろうか。
好きな小説ならいくらでもある。
だが、一番好きな…と、いわれると一つに絞るのはなかなか難易度が高い。
僕も、「一番好きな小説」に関しては決めあぐねる。
ただ、「一番好きな《海外の》小説」に限定するとしたら、何とか絞ることができる。
それが、アガサ・クリスティーの『オリエント急行の殺人』だ。
この作品に初めて触れたのは、中学一年生のときだったと思う。
自分自身の読書歴の比較的最初期に読んだこともあって、今でもその時の感動を覚えている。
何度も読み直していて、浪人時代には辞書を引きながら原書を一か月かけて読んだことも記憶に新しい。
中学三年生の秋には、高校受験の勉強を放り出して、名探偵ポワロシリーズ読破に躍起になっていた。
『オリエント急行の殺人』の何がそんなにも僕を魅了したのだろうか。
その最大の魅力は、拡散と収束の美しさだ。
イスタンブールとカレーを結ぶオリエント急行の車内には多種多様な人々が乗り合わせている。
国籍や、年齢、性別、社会的な地位や職業、容姿…
あらゆる面でバラバラな人々が乗り合わせた狭い車内。
オリエント急行という限定的で小さな空間の中に、世界中(欧米中)を圧縮したその場面設定に一気に引き込まれる。
そして、車内で起きた殺人事件を契機にその広がり切ったセカイが、
ある一転に向けて急速に収束し始める。
空間的な狭さとは裏腹に、とてつもなく雑多に広げられた風呂敷が、鮮やかにたたまれていくその美しさ。
「ミステリーの女王」の描き出したその美しい拡散と収束に、中学生の自分は、そして今の自分もまた、惚れしてしまったのだ。
ミステリーそのものとしては、賛否両論あるこの作品が、
多くの読者を虜にし、何度も映像化されているのも、
この美しさに世界中の人々がやられてしまっているからではなかろうか。
(2017年に公開されたケネス・ブラナー主演のものは、最後の解決シーンが車外なのが個人的には残念でならない…)
自分は、「張り巡らされた複雑な伏線が、物語の終盤に一気に紡ぎあげられていく」小説が大好きだ。
思えばその“性癖”すらも、アガサ・クリスティーによって植え付けられたのかもしれない。